言語による表現の限界(言葉のループ=循環的な参照関係)

初めに、今回は、「言語による表現の限界(言葉のループ=循環的な参照関係)」について述べていきたいと思います。

ここで、"すべての言葉は、現実にある物事に対応する「(なんらかの)概念や観念につけられた名前」のようなもの"です。

我々人間はその「名前」を組み合わせて用いることで、他者と意思疎通が図れるのですね。

つまりは、言葉に先立って、現実のイメージがあるので、(辞書をよく引く方ならお分かりの通り、)(究極的には、)"言葉の意味を言葉で突き詰める"ことはできません。

※"ある言葉が、別の言葉を参照している関係が認められる"ということです。

※これでは、言葉の「循環的な参照」が起こって、言葉の意味の解決ができませんね・・・。

言語哲学者であるソシュールの考え方であっても、やはり、この「言葉の無限ループ」から抜け出せていない感があります・・・。

最後に、言葉とは、(あくまでも、)現実にある物事のイメージにつけられた「タグ」のようなものなのです。

※したがって、時代や環境の変化によって、物事に伴うイメージの様相・様態が変わるので、(当然にして、)言葉の意味も変わっていきます。

※昨今のAI(=チャットボット)の(あくまでも、)(文脈などの理解ができるレベルの)開発が難航しているのは、この辺りの知見が技術者や開発者の方々の間で共有されていないからではないでしょうか・・・?。