運命とは?(神の導き、あるいは世界の青写真)

初めに、'運命'とは、神の導きや手引き、あるいは人智を超えたなにか、とも言えますが、人間には生得的かつ本来的に自由な意志が備わっています。

したがって、この世のすべての物事は、運命という下書きや青写真に沿って動いていくわけではありませんし、すべてが我々人間の思う通りに運ぶとも限りません。

(究極的に言えば、)それは日々、この世界や宇宙で生きる我々人間の心遣い一つで決まることではないでしょうか?。

今回とは別の記事『神は全能か?(それとも無能か?)』でも述べましたが、神は本質的・本来的に、(自由意志を持つ)我々人間に積極的に働きかけることはできません。

その意味では(大変残念ながら)神は無能ですが、(あくまでも)論理的形式に則って言えば、神は全能であり、この世界や宇宙の環境を動かす、あるいは変えることができますし、おそらく(ある程度は)我々人間に働きかけることもできるのでしょう。そうでなければ、全能とは言えませんので・・・。

※ちなみに、筆者個人の言う'論理的形式(=真理)'とは、あらゆる属性の内で、肯定的かつ優位的な属性を備えたものこそが神であるという、本体論的(あるいは存在論的)な(神の)証明のベースとなる観念のことです。

しかし、現実には、我々人間に様々な不幸や災難が降りかかります。その原因とはなにかというと、神が善良なる存在であり、常に我々人間を温かく見守ってくれていて、なおかつ、我々人間が間違った道に進もうとするとそれを引き留めてくれているならば、明らかに我々人間のほうにこそ、その原因があり、この世の不幸・災難の一切は、人間が起こした問題であり、自業自得の結果だということになるでしょう・・・。

※これは、スピリチュアル界隈では、'カルマの法則'と呼ばれています。

最後に、(その意味で、)運命とは、神の導きや手引きとも言えますし、この世界や宇宙の下書きや青写真のようなものとも言えます。しかし、我々人間がその通りに従って生きるかどうかはまた別の問題であり、我々人間自身に係わる'選択の問題'とも言えます。

※ただし、あまりにも著しく、我々人間の活動や現在の在り様が運命から外れていれば、それを神が見ていて(半ば強制的に)軌道修正を図るのではないでしょうか・・・。

※(筆者個人は、)神が運命を決めていて、(大筋ですが、)この世界や宇宙の未来、ひいては我々人間の一生や将来が決まっているという風に考えています・・・。