エゴとコンプレックスの深い関係(あなたは「拗らせタイプ」?)

初めに、エゴとは、「自我」または「自尊心」と訳されます。

現代では、どちらかというと後者の意味で用いられることが多いと思います。

エゴとは自己を確立する上で、なくてはならないものですが、これは必然的に他者との衝突を引き起こします。

なぜならば、多くの人にとって、自分よりも容姿や才能において、自分よりも優れている他者の存在があり、常にそれが自己の存在にとって脅威となるからです。

つまりは、エゴの強い人間ほど、周囲から一目置かれたい、注目されたい、人気者でいたいという欲求を持つ訳です。

そこで、自分よりも容姿や才能の優れた他人の存在に嫉妬心をくすぐられて、他人の足を引っ張ったり、邪魔したり、あわよくば今いる高みから下に引きずりおろしてやろうという発想に至る訳です。

つまりは、エゴの強さとコンプレックスの強さは比例するということです。

この問題は、エゴの強さと(現実における)自己の存在のレヴェルとのギャップによって引き起こされます。

エゴが強く、かつ、容姿や才能の面で他者に圧倒的な溝を空けられているほど、そのギャップは大きく、それがコンプレックスになりやすいのです。

ちなみに、コンプレックスの出方は2通りあります。

一つは「嫉妬」であり、もう一つは「羨望」ですが、どちらも根源は一つです。

さらに、世の中一般では、前者は「後ろ向きな感情」であり、後者は「前向きな感情」と受け取られます。

まとめると、世の中では、(圧倒的・絶対的な)自己を確立する(=大勢の他者との競争に勝ち抜くことが)できる人間は一握りであり、一生涯をかけても自己を確立できない人間は必ず出てきます。

※これは、(そもそも)世の中が不公平であるという証左である。

では、自己を確立することのできない人間はどうすれば良いのかというと、それは、その目的自体を捨てる、即ち、自己の確立することを「諦める」ことに尽きると思います。

いつの時代であろうとも、社会状況がどうあろうとも、人には「分相応」というものがあると思うのです。

終わりに、結局、人は、天から与えられた初めの手札をつかって、人生をやりきる、乗り切ることしかないというのが、答えではないでしょうか?、