トートロジーの本質&正体(「私は私?」「ペンはペン?」)

初めに、よく巷では「私は私」とか「ペンはペン」といった表現が見受けられますが、これは論理学の世界では「トートロジー(=同語反復)」とされています。

今回は、このトートロジーの意味するところについて解説していきたいと思います。

一見すると「私は私」とは、全くもって意味を成さない「ナンセンス」な文章表現のように思えてきます。

しかし、ここで、原文を意訳&補填すると、1.「私は私であって 他の何者でもない」ということになり、トートロジーとは詰まるところ、存在の「一意性&唯一性」を強調したものなのです。

さらに、意訳文の「~ 他の何者でもない」といっている通り、自己とは異なる他者の存在の否定として自己を規定&定義しているということになります。

※これは、集合論における「補集合」の概念である。

つまり、この文では、(遠回し&間接的に、)他者の存在を否定することで、自己を認識できるということを意味しているのです。

したがって、1の意訳文をさらに意訳することができます。

それは、2.「私は私であって 他の何者でもない  他の何者でもない者こそが 私である」となります。

この文は一見するとややこしいですが、一つの真理です。

※「ありとあらゆる他者の存在を否定することで 自己が見いだせる」ということである。

もっとも、この場合「どこからどこまでが 他者なのか」という命題のようなものが付きまといますが・・・。

これは例えば、生活の信条とか、道徳観とか、さらにいえば、信念のようなものであったり、生理的な好悪であったりするので、なんともその境界線は曖昧なものなので一概には言えませんが・・・。

しかし、興味深いのは、ありとあらゆる他者の存在を知悉していなければ、本来の自己の存在を見出すことはできないということであり、(同時に、)他者の存在なしには、自己の存在を規定・定義することもできないということです。

終わりに、トートロジーとは、自己の存在の一意性&唯一性の強調であり、自己の存在を規定&定義するための語法でした。