存在の定義①(人それぞれの生き方)

初めに、今回は、「存在の定義(人それぞれの生き方)」について述べていきたいと思います。

ここで、すべての存在は、(究極的には、)「無為・自然的な(=理由や目的を伴わない)存在」と、「有為・反自然的な(=理由や目的を伴う)存在」に分かれます。

前者は、誰にも使役・服従していない「道具的でない」存在です。後者は、誰かに使役・服従している「道具的である」存在です。

すなわち、その存在に「理由や目的がある」ということは、同時に「道具的である」ということができますね。

理由や目的とは、何かしらの内的・外的動因(=契機や動機のようなもの)があって、そこから願望や欲求が発生している、このことには同意していただけるかと思います。

これは、たとえば、子供のころに大病にかかった自分を治療してくれた医者に憧れて、医療の道を目指すようになったなど・・・。

次に、その願望・欲求が私的・個人的なものか、はたまた公的・社会的なものかどうかに分かれて、より後者に近いもの(=社会的に承認し得るもの)に限って、理由や目的として定められるということになるでしょう。

※ただ単に、「将来、ラクがしたいからお金をたくさん稼ぎたい」とか、「たくさんの異性にモテたい」とかは、あくまでも、個人的な願望や欲求の域を脱しませんからね(笑)。

これは、先の例でいえば、将来、医者になって、自分が病気から救ってもらったお礼や恩義のために、「医者になって同じように病気の人を救いたい」などの願望や欲求のことですね・・・。

最後に、今の時代(そしてこれからの時代)には、どちらかといえば、前者の生き方が(強く)推奨されているような気がします・・・。

※「ワークライフバランス」でいえば、「働く」よりは「遊ぶ」とかのほうのウェイトが大きくなっているような・・・(笑)。