時間の存在②(その謎と本質)

初めに、今回は、「時間の存在②(その謎と本質)」について述べていきたいと思います。

ここで、時間とは、物体の運動を抜きにしては語れない、定義できないのでした。

さらに、物体の運動を司る法則とは、星々の配置(=銀河や銀河団の構造)を決定するために要請されるものだといえますし、星々の配置はそのままこの宇宙の空間の状態(≒様態)となります。

※「宇宙の空間の状態(≒様態)」とは、例えば、この宇宙の空間を一つのキャンヴァスに見立てると、宇宙の星々の存在は、そのキャンヴァスに描かれたものとなりますね。つまり、それが(ほぼ)そのまま「状態(≒様態)」となるということです。

ここで、例えを用いて、この宇宙を支配する法則について説明していきます。

たとえば、水槽にインクを垂らすと、そのインクは複雑な動きをしながらも、最終的には水槽全体に薄く広がり、水槽の中の水を染め上げます。

つまりは、水槽の最初の状態(=水とインクが完全に分離している状態)から、最後の状態(=水にインクが溶け合っている状態)までの過程が法則によって導き出される、決定されるということです。

では、時間とは何なのかと改めて問いたいと思います。

巷では、時間とは、絶対的であるとか相対的であるとか言われていますが、やはり、今までの人間の時間についての認識や理解が不足しているように思われますね。

というのも、先述したこの宇宙の法則は、宇宙全体の時間が不連続であるという(=この宇宙の状態とはゲームや映画のようにコマ割りで作られるという)前提の上に成り立っています。

※時空(=時間と空間の合成体)には最小のサイズがあって、その細部には仕切りのようなものがあります。したがって、時空とはコマ割りで不連続なものといえますね。

つまりは、この宇宙を支配する法則とは、ある一つの宇宙の空間の状態を決定すると(=宇宙の一コマを描き切ると)、続けて、次の状態を決定しようと(=次のコマを描こうと)働くのですね。

これは、この宇宙の法則が、(少なくとも、)「我々人間が知覚し得る時間」を生み出しているということになります。

※「宇宙の法則」>「宇宙の(人間の知覚し得る)時間」という関係となります。

※この宇宙の法則が、宇宙のあまねく星々の配置や形状を(物理的な計算に基づいて、)一つ残らず決定し尽くす。すると、宇宙全体が次の瞬間(=次の一コマ)に遷移するということであり、「我々人間の知覚しえる時間」とは、その一コマを単位とする時間であるということです。

したがって、宇宙全体として時間は「絶対的」な存在だといえますね。

しかし、アインシュタイン相対性理論に基づけば、この宇宙の各所・各領域の時間は、それぞれに独立で、その固有の重力や加速度に応じてテンポ(=進行の度合い・具合い)が変化するとされています。

では結局のところ、時間とは「絶対的」なのか、それとも「相対的」なのか?。「そのどちらが正しいのか?」という疑問に行きつきます。

結論を先に言いますと、そのどちらもが正しいです。

なぜならば、宇宙全体としては絶対的な時間で進行していて、宇宙の各所・各領域は相対的な時間で進行しているからだと言えるからです。

つまりは、この宇宙全体にはまず一つの絶対的な時間(=他のすべての基準となる時計)があって、次に、宇宙の各所・各領域に無数の相対的な時間(=基準となる時計に基づいて動く各々の時計)があるということになります。

※前者を「絶対時間(≒絶対時計)」として、後者を「相対時間(≒相対時計)」とします。

※相対時間(≒相対時計)は、絶対時間(≒絶対時計)を常に参照していて、宇宙の各所・各領域に及ぶ重力や加速度の強さに応じて、絶対時間(≒絶対時計)に対する比で、そのテンポが決定されるということです。

※「絶対時間(≒絶対時計)」>「相対時間(≒相対時計)」という関係となります。

最後に、この宇宙には(大きく分けると)二つの時間(=時計)があって、それは「絶対時間(≒絶対時計)」と「相対時間(≒相対時計)」であり、後者が前者を常に参照しているということです。

※この宇宙をマクロ的な視点で見ると「絶対的な時間が流れている」となり、ミクロ的な視点で見ると「相対的な時間が流れている」となりますね・・・。