時間の長さ(その始まりと終わり)

はじめに、ニーチェの唱えた'永劫回帰'のように、時間が永遠に流れて、回り続けるという発想には致命的な欠陥があります。

それは、現に我々人間は、刻一刻と時間が流れているのを体験および経験しています。

時間が流れるというのは、その全体のプロセスが有限であり、あるところで完結していなければならないということでもあります。

つまりは、時間が無限の系列であったなら、時間の経過自体がありえないということです。

※これは'現在'の観念さえも否定してしまうので、あまりにも致命的なのですが・・・。

したがって、この世界や宇宙の第一原因を追究していく結果として、時間を無限に遡行(無限退行とも言います)していくということはありえません。

必ずや、時間にはその始まりがあるのです。その時が、この世界や宇宙の始まりなのでしょう。

ただしこの反対に、今後、時間が"無限大"に続いてくということを否定する論拠や根拠はどこにもありません。

※最新の宇宙物理学を以てしても、この世界や宇宙の終わる瞬間を特定するには至っていません。

つまりは、"始まりがあって、終わりもある"、という保証ならびに確約はどこにもないということになります。

※無限大とは、そういうものです。無限大とはあくまでも、あるところでは有限であるということと、それが、無限に延伸していくというイメージでいいと思います。くどいようですが、無限大とは常に全体としては有限です。終わりのところを明確に規定していない(=任意としている)というだけのことです。

※ちなみに、"無限"とは異なる観念ですので、(くれぐれも、)お気をつけください。

※今回とは別の記事『神の実在証明』、『主体ならびに客体(主観ならびに客観)』でも述べましたが、この世界や宇宙の歴史ならびに時間がどこまで続いていくのかというと、それは神の意志、あるいは恣意によるでしょう。神がこの世界・宇宙に飽き飽きした時が来たら、その時がこの世界・宇宙の終わりと言っていいでしょう・・・(笑)。