メビウスの輪(因果と時間のループ)

初めに、巷には、因果や時間は無限にループ(=循環)しているといった主張や言説が見られますが、それらがループしているのであれば、必ずや、それを「何周」したかという概念や観点が生じます。

無限のループとしては「メビウスの輪」が挙げられますが、メビウスの輪の上を何週したのかが分かれば、それは一本の線(=時間)にすることができます。

想像してみてください、紙でできたメビウスの輪にハサミを入れると、当然のことながら、一本の紙片になります。

※というよりも、一本の紙片を輪っか状にしたものが、メビウスの輪である。

このことから、因果や時間がループしているという主張や言説はナンセンスだということが分かりますね。

したがって、因果や時間は一本の線だということができます。

ここで、因果や時間について無限に遡っていくとしたら、どうでしょう?。

そうすると、因果や時間の系列を無限に経なければ、現在や未来(の認識)にたどり着けませんよね。

したがって、因果や時間の流れというのは「有限」であり、必ずや、因果や時間には始まりがあることになります。

※この宇宙は「無」から生じた、あるいは「無が転じたもの」というのが、今日の物理学の主流派である。

※「有」と「無」の間を量子が揺らいでいて、ある時に、トンネル効果によって、無から有に転じたとされている。

それでは、その線の始端は誰が作ったのかといえば、「宇宙論的」にいえば、「神」や「自然」が作ったということになるでしょう・・・。

最後に、因果や時間のループの正体は、きちんと両端の揃った一本の線に過ぎないということでした。