不合理と偶然性の正体③(量子力学の本質)

初めに、今回は、「不合理と偶然性の正体(量子力学の本質)」について述べていきたいと思います。

(現実における)物事の選択や決定については、どうしても不合理や偶然性がつきまとうということについては以前の記事で述べさせていただきました。

ここで、あらゆる物質の構成要素である原子に含まれる、原子核の周囲を絶えず運動している電子の状態は確率的にしか決定できません。

※これを、「量子状態」と呼びます。

なぜそうなっているのかというと、原子核の周囲を運動している電子の軌道の上のどの位置にも「順序」や「優劣」がないからです。

※重要なのは、電子が物理学的なエナジーを持っている以上、電子は絶えず運動せざるを得ないという事実であり、電子は周回軌道の上であれば、どの位置で発見されてもいいからですね。

したがって、電子の位置は確率的にしか決められないし、確率的にしか観測できないということです。

この問題は、本質的には「乱択」の問題と同義です。

リンゴの山から一つのリンゴを選ぶことは、突き詰めれば、どのリンゴを選んでも同じなのですから、当然にして、電子の発見される位置もどこでもいいということになりますね。

アインシュタインは、"神はサイコロを振らない"といったそうですが、現実には、(やはり、)神はサイコロを振っているようです。

最後に、「選択」と「決定」の問題には、必ずといっていいほど、不合理や偶然性がつきまとってくるということでした。

人生の困難な問題(自己起因と他者起因)

初めに、今回は、「人生の困難な問題(自己起因と他者起因)」について述べていきたいと思います。

ここで、(人生の)あらゆる問題には、必ずやその原因があります。

その原因とは、「自己起因」のものと「他者起因」のものがあります。

自己起因については、内省したり、内観することで、その原因を探り当てることができますね。

※原因がわかれば、あとはそれを取り除くだけです。

他者起因については、自分の周囲をよく観察・分析することで、その原因を探り当てることができますね。

あらゆる問題のうち、"「真の問題」とは、この他者起因によるもの"です。

他者は自己と違って、"数が多い上に、その一人一人を変えることは難しい"からです。

したがって、他者に積極的に働きかけて、他者を無理に変えようとするのではなく、そういった「他人に問題を押し付けるような人達」とは極力関わらないようにするのが賢明でしょうね。

最後に、自分をより良くしていく努力と、自分の人生に干渉したり、悪い影響をもたらす人達とは関係を断ち切るようにしていくのがよいと思います。

※世の中に多く見られるのは、"初めに、人に親切にしたり、優しくすることで、一旦、信頼を勝ち取っておいて、あとで、(自分を)信頼している相手を裏切ったり、利用するタイプの人達です。

※こういった人達は、大体がその人の醸し出している空気や雰囲気でわかります(笑)。

※くれぐれも、こういった人達に裏切られたり、利用されたりしないようにしましょう。

過去から未来までを見通すということ(課題と問題の構造)

初めに、今回は、「過去から未来までを見通す」について述べていきたいと思います。

ここで、巷ではよく聞く、「未来から現在を逆算する方法」、あるいは、「未来からあるべき現在を導き出す」という主張や言説があります。

これは、"なりたい自分をまず想像してみることから、現在の自分の在り様・在り方を見出そうとする"ことです。

しかし、この方法論には盲点や欠陥があります。

それは、"現在から未来までが地続きになっている"ということ以前に、"過去から現在までが地続きになっている"からです。

つまりは、未来にあるであろう結果は、過去にあったであろう第一の原因がもたらしているということですね。

※「因果律」とは、問題の内なる構造の一部です。

※「問題の構造」とは、"因果律と、原因と結果の間に起こる「現象」を併せたもの"です。

したがって、"未来の自分を想像し、そこに向かっていくには、まず過去の見直し・振返りが必要となる"わけです。

※「過去の見直し・振返り」とは、物事の認識を時系列に沿って、過去にまで及ぼすことです。簡単にいえば、「過去に遡る」ですね。

そうすることなしには、(少なくとも、)(自分の)人生における「(ある種の)法則」や「経験則」は導き出せないからです。

人生における法則や経験則が不明のままですと、現在から先の未来までをも見通すことなどは不可能です。

※これは、「課題」の発見と言い換えてもいいです。

※「課題」とは、まず現状があり、未来における理想の形や姿との齟齬やギャップをいかに埋めていくのか、あるいは、これを解消していくのかということです。簡単にいえば、「目標の設定」ですね。

最後に、"法則や経験則を駆使することで、未来の(なりたい)自分につながる行動や振る舞いが見い出せる"というお話でした。

※これは、行動・振舞い的な「材料出し」ですね。

※人が、自らの行動や振舞いを決める手前の段階には、"問題を課題に変える"、その転換が起こるということがあります。「課題がクリアになる」ともいいますよね?。

道具の使用と可能性の追求

初めに、今回は、「道具の使用と可能性の追求」について述べていきたいと思います。

ここで、家やクルマを購入したいのであれば、お金をつかう必要があります。

どこかへ移動したいのであれば、クルマや自転車をつかう必要があります。

会社でデスクワークしたいのであれば、パソコンをつかう必要があります。

機械を修理したいのであれば、工具をつかう必要があります。

作物を栽培したいのであれば、農具をつかう必要があります。

つまりは、"将来(ないしは未来)の可能性を追求するということは、なんらかの道具を使用する"ということになりますね・・・。

※人間は(誰しも)、このことを(ほとんど)無意識・無自覚に行っています。

最後に、「道具の使用」とは、そのまま、自らの「可能性を追求」、(あるいは選択)するということです。

※ちなみに、人間の「筋力」や「体力」といった、すべての「力」は道具的な存在ではなく、道具の使用よりも前の段階で要請されるものです。

※また、「エナジー」についても同様です。

※さらに、「力」や「エナジー」よりも前の段階で要請されるのは「意志」ですね。

※人間は、「意志」があるから「力」をつかうことができるし、「力」があるから「道具」をつかうことができるということです。

※人間には、意志が備わっているからこそ、自らの可能性を追求していけるのですね・・・。

認識論(イデアを駆使するということ)

今回は、「認識論」について述べていきたいと思います。

ここで、形や特徴のそれぞれ異なる存在(=ヒトでも動物でも、クルマでも電車でもなんでもいい)が、いくつかあるとします。

※極端な話、この世に形のある存在(=物体)でなくても、形のない「概念」や「観念」でもいいですよ(笑)。

人間が、それぞれの存在を認識して、その存在の名前・名称を言い当てることができるのは自明であり、当然のことです。

ではなぜ、我々人間には、それができるのか?・・・。

それは、"「イデア」を駆使している"からです。

つまりは、人間が、なにかの存在を認識する際、認識の対象であるそのなにかと、それに対応するイデアを突き合わせているのです。

最後に、その結果として、アレとコレは「同じだ」とか、「違う」といった答えが出るのです。

※「イデア」とは、現実にあるものの「理想形」みたいなもので、AIや機械学習の世界では「教師信号」と呼ばれます。

※例えば、「クルマのイデア」は、"この世に実在する無数のクルマに共通する形や特徴"といえますね。

※我々人間は、乳幼児期の脳や意識が発達する過程・段階で、この「イデア」を経験を通して獲得するように造られているのでしょう。

「二項対立」と「二項両立(=二律背反)」(経済社会の背負っている宿命)

初めに、今回は、「二項対立と二項両立」について述べていきたいと思います。

ここで、二項対立とは、例えば、男性と女性という両極の性質・属性のうち、(ある時には、)どちらか一方のみの成立を認めるということでした。

※つまりは、"中間と境界を許容しない"という考え方ですね。

対して、二項両立とは、男性と女性の間の性別(もしくは両性)の成立を認めるということでした。

※つまりは、"中間と境界を許容する"という考え方ですね。

さらにここで、経済とは、社会の抱える問題・課題を発見して、人々の持つ潜在的なニーズやウォンツを掘り起こすことで、社会の成長がもたらされるという仕組みや原理のことですが、その動機付けとしては、人々の意識的な進歩や成長を促すということがあって、(結果として、)それに向けた努力によって、社会全体に経済的な豊かさがもたらされるということだと思います。

※少なくとも、わたし(筆者個人)はそう信じています・・・。

ところで、二項対立についてですが、これを経済に適用すると、"(原理的には、)社会は経済的に「進歩・プラス成長」するのか、それとも「退歩・マイナス成長」するのか"の二択しかないということがわかります。

※二項対立では、「中間と境界」(=曖昧な姿勢や立場)に寛容ではないからです。

※これは極めて、西洋的というのか、アメリカやヨーロッパ的なものの考え方でしょう。

二項両立については、「進歩・プラス成長」と「退歩・マイナス成長」の両方が同時に起こる、つまりは、「社会の停滞・ゼロ成長」をするということになります。

※これは、いかにも日本的ではありませんか?・・・。

※"男か女か"、あるいは、"右か左か"の選択で、どっちつかずの状態になるのですから・・・(笑)。

したがって、物事の原理としては、二項対立よりも二項両立のほうが複雑です。なので、西洋は東洋と違って、いたってシンプルな考え方になりますね。

※タオ(=太極図)に見られるように、東洋では単純に二元的なものの考え方はしません。それらの中間の存在を許容して、これを認めていますよね?・・・。

最後に、まとめると、二項対立(=西洋)と二項両立(=東洋)とは、(原理的にいって、)互いに矛盾し合っていて、互いに相容れないということがわかるかと思います。

※しかし、社会とは、常に時代や環境の変化に追いついていかなければならない宿命にあるので、(本来は、)経済社会に「停滞・ゼロ成長」というものはなくて、それは実質的には「退歩・マイナス成長」の方に分類・クラスタリングされなければならないのではないでしょうか?・・・。

※つまりは、「成長率ゼロ」とは、"「マイナスの成長」としてみなされなければならないという"ことですね。

※時代や環境の変化によって、旧来の技術や設備はすぐに劣化・陳腐化してしまうので、積極的に経済活動することで、常に新しい価値を創出しなければならないからです。つまりは、ゼロ成長で経済全体の収支がトントンというのはありえなくて、それは、技術や設備の劣化・陳腐化によって生じる社会全体の価値の減少を考慮していないということです。

※したがって、経済の収支が、プラス面(=収益)とマイナス面(=損失)の間で完全につり合いが取れるのは、"(社会全体が)プラスの成長を遂げている場合だけ"でしょうね。

知識と知恵(無限かつ永久の財産)

初めに、今回は、「知識と知恵」について述べていきたいと思います。

知識と知恵は、一度発見・獲得されたのならば、あとはいくらでも使うことができまし、誰かに壊されたりもしません。

しかし、これが食べ物や一般の財物(=マイカーやマイホーム等)であれば、消費されたり、壊されたりしても、その価値を減らしてしまいます。

※時間の経過による「経年変化(劣化)」でも価値が減ってしまいますね・・・。

それに、この世で形のある財物というのは、人間の知識と知恵から生み出されているのは明白であり、知識と知恵なしにはなにも生産することはできません。

したがって、この世の中では、形のある財物よりも、形のない知識と知恵のほうが、価値があります。

これはいくら使っても減ることはありませんし、壊すこともできません。

特許権著作権と呼ばれるものが、世の中で莫大な利益を生み出すことは、だれの目にも明らかです。

※現在、世界の経済をリード・牽引している名だたる企業(=GAFA等)が、ソフト産業ないしはソフト寄りの産業に属しています。

※"ハードよりもソフトの方に真の価値がある"。このことに、いよいよ日本も気づき始めたのではないでしょうか?・・・。

※厳密には、形のあるもの(=ハード)は有限の存在であるので、価値付けができますが、形のないもの(=ソフト)は無限の存在であるので、(本来、)価値付けができません。

※有限の存在よりも、無限の存在の方が上位であり、かつ、優位であるのはいうまでもありませんが・・・(笑)。

最後に、今後、(世界的に、)ますますハード産業からソフト産業への移行(=産業シフト)が加速していくでしょう。

※「ハードから ソフトへ」というのは、人類全体にとっては、文明のさらなる飛躍となるでしょうね。

※日本はあいかわらず、家電や自動車などのモノづくり(=ハード生産)にしがみついていますけど・・・(笑)。

※もうとっくに、海外(それもアジア勢)に抜かれているんですが・・・(笑)。

※彼らのほうが、より低コストで生産していて、なおかつ安くモノを販売しています。