降水確率50%の謎&秘密(結局は分からないということ)

初めに、今回は、「降水確率50%の謎&秘密(結局は分からないということ)」について述べていきたいと思います。

ここで、世の中には、物事の生起確率が「50:50」(=fifty-fifty)となる事例があります。

たとえば、降水確率50%ということは、逆をいえば、雨が降らない確率も50%なので、これは、決定的な事象・現象ではないのは明らかです。

その日の天気が雨になるのか晴れになるのかが判然としないということですから、天気予報としては機能していないということを(なんとか?)誤魔化している訳ですね。

※いっそのこと、「天気予報」ではなく「天気予想」と言い換えてしまって、さらには、降水確率が50%となる事態・状況については、情報の受け手(=主にはテレビの視聴者)に向けては、傘を持ち歩くべきかは、「各自の判断に委ねる」とすればいいだけのことなのですが・・・。

※天気が変わってから、予報内容を修正するなんて、ナンセンス過ぎます・・・笑。

※つまりは、「予報内容を修正する」という表現・言葉自体が論理的に破綻しているわけです・・・。

気象庁や、そこにぶら下がっている全国のテレビ局の気象部門は、過去の予測結果と現実の予測結果がどの程度、解離しているのか、あるいは、整合しているのかという、(日本における)気象観測の膨大なデータを一般に公開してしまって、どのテレビ局の、あるいは、どの気象会社が優れているのか、誰が見ても一目で分かるようにするべきではないでしょうか?。

※少なくとも、そういったプラットフォームを構築・用意して、さらに付け加えるならば、気象観測衛星をバンバン打ち上げて、日本の産業の一角に据えてしまうなんてことも、可能性としては考えられます。

しかし、日本国内における気象予測に強目の競争原理を持ち込めば、それ自体、一つの市場になるような気がするのですが、どうにも、この国では、こういった、他者(=他社)を出し抜いたり、頭一つ飛び抜けるようなことは忌み嫌われているので、未来永劫、実現しないかもしれませんが・・・笑。

ちなみに、気象庁の見解では、降水確率50%というのは100回の試行のうち、その半分の50回は雨が降ることと定義されているようです。しかも、降水確率0%でも雨が降ることもあるとされています。

※これでは、なんのことやらサッパリですね・・・笑。

あくまでも、世の中で天気の予報を必要としている人達にとっては、今日明日に雨が降るのか降らないのか、降るとしたら、どのぐらいの雨量・勢いなのかが知れないとなんの意味もないのですが・・・。

※オマケに、降水確率0%の日でも雨が降ると言い出したら、もう予報でもなんでもないですし・・・。

あくまでも、「天気予想」ではなく「天気予報」という表現になっているのは、「(技術的な)予測」よりも「(神憑り的な)予報」に拘る人達がいるせいではなく、ひょっとしたら、(世の中の人達の)「語感」や「音感」の問題も絡んでいるのかもしれませんね・・・。

最後に、日本の気象予測の建前では、いくらでも嘘や誤魔化し、詭弁が通ってしまうのでした・・・。