意識の仕組みと構造①

初めに、'意識'とは、魂・心・意志・知能といったものによって構成されます。さらに知能は、理性・悟性・感性といったものによって構成されます。このことについては、今回とは別の記事『知性と野性』で述べました。読まれていない方には一読をお勧めします。

心とは、外部ないし外界からの刺激によって日々刻々と変化する部分であり、様々な気持ちや感情をもたらします。したがって、心とは実にフレキシブルなものなのです。

意志とは、心が定立するもの。心が意志を定めている(決めている)ということです。

※意志は、我々人間の日常における心遣い・行動や振る舞いを決定する上で、常に心から参照されている存在です。

したがって、心が弱っていると、自分の意志に忠実に物事を判断したり、行動することができなくなります。

※巷では、よく"意志が弱い"といわれますが、これも間違い・誤りです。"心が弱い"から、自分自身の(邪まな、あるいは浅ましい)欲求に負けるのです(笑)。

※"意志は強いか弱いか"でなく、"意志はあるかないか"、です。

さらに、心は、肉体から触発され、様々な(主には生理的な)欲求や衝動に突き動かされます。これは本能によるものと考えます。そして、本能とは肉体に宿っているものです。

※これは、'エス'と呼ばれます。

エスから生じた様々な(生理的な)欲求は'リビドー'と呼ばれます。

※欲求について言えば、食欲・性欲・排泄欲など。衝動について言えば、(悪い意味では)暴力・暴言など。

※ある時、子供が突然泣き出したり、叫んだりするのも衝動によるものだと考えます。

ここで、心は、(基本的には)快楽原理に従いますが、(あるいは縛られていますが、)これは、意志の存在によって克服できます。

※といって無理に食事や排泄をガマンするのは体によくありませんので、あしからず(笑)。

これは、自分自身の定めた(決めた)意志に従うことで、目先の欲求・衝動や利益、果ては快楽といったものに振り回されないように、自分自身を統制ないし抑制(=コントロール)することができるようになるのです。

これは、心が常に自分自身の(同じ)意識の内にある意志に照らし合わせて、その時々の心遣い・行動や振る舞いに間違い・誤りがないかを確かめることで、これを改めようとするのです。

ここで、ではなぜ我々人間には、肉体から発する欲求や衝動以外にも、より高度で高尚な(=ハイレベルな)欲求・衝動があるのでしょうか?。

わたしは、これには'魂'が関連していると見ています。つまり、魂こそが、人間を人間たらしめている高度で高尚な欲求や衝動をもたらしているのだと考えます。

たとえば、"政治家・慈善家・実業家になって世の中を変えたい"、"世の中の弱い立場に立たされている人々の救いや助けになりたい"、"画期的な発明やアイデアを形にして世の中を便利にしたい"、"人類史に残るような科学的・学術的発見をして人類全体に貢献したい"、などの欲求や衝動は、そのどれもが世の中を良くすることに通じますが、なぜ、このような(より)高度で高尚な欲求や衝動があるのかといえば、それは、ひとえに人々の精神の内にある魂がそうさせているのではないでしょうか。

※我々人間の意識の内に、魂がはじめから備わっていて、(あるいは宿っていて、)それが肉体の成長に合わせて、活性化ないし活発化して、これが、心に働きかけてきて、人間に(自分自身に固有の)意志を持つように促していると考えます。

※ちなみに、心理学や精神医学(特に分析心理学)の世界では、'魂'という言葉や表現は(どうやら)殆んど心と同一視されていますが、わたしはそうは考えません。"心は心、魂は魂"という考え方です。なぜなら、心は我々人間の努力によって変えられますが、魂までは変えられないからです。魂は努力云々で変えるものでなく、人それぞれが持って生まれたものであり、はじめから完全・完璧なものだからです。