複雑な文章についての真偽判定(総合評価ないし統計学的手法)

初めに、ある文章が論理的な形式に則っているのならば、その真偽を簡単に確かめることできます。

しかし、世の中には、簡単には真偽の判定のできない複雑な文章が多くみられます。

この場合にはどうすればよいのでしょうか?。

例えば「ジュースの効能・効用と 糖尿病の誘発リスクについて書かれた論文」について仮定・想定してみます。

ここで、(前段として、)ジュースに含まれる糖分が糖尿病を誘発することが科学的に認められているという旨の文を置きつつも、(後段として、)ジュースを飲むことによって、脳の働きが活発になるとか、集中力・注意力が増すとかいった旨の文が置かれているとします。

※この場合には、論文の前段が「導入」や「前置き」に当たり、論文の後段が「結論」に当たる。

したがって、この内容の論文では、「ジュースが脳の活動を増進する」と言いたい訳です。

さらに、ここで、(前段として、)ジュースを飲むことによって、脳の働きが活発になるとか、集中力・注意力が増すとかいった旨の文が置かれつつも、(後段として、)ジュースに含まれる糖分が糖尿病を誘発することが科学的に認められているという旨の文が置かれているとします。

したがって、この内容の論文では、「ジュースを飲むと糖尿病になる」ということを言いたい訳です。

つまりは、初めに例示した文章の前段と後段の配置を入れ替えたことによって、結論が反転してしまう訳です。

こういった前後で内容の相反する、あるいは矛盾する文章というのは、簡単には白黒をつけられません(=真偽が定かでない)。

では、どうすれば、この問題を解決できるのかといえば、それは「総合評価」ないしは「点数化」の手法を用いることです。

ここでいう「総合評価」とは、物事の良し悪し、ないし功罪については、その両面について評価し、物事を総合的に判断するということであり、物事を「点数化」するということでもあります。

先に挙げた例でいうと、ジュースの飲みすぎが糖尿病の原因であり、同時に、適量であれば、脳の活動増進に資する、益するということでもあります。

したがって、ジュースそのもの(その存在)についていえば、「功罪は相半ばする」=「決定不能」となり、条件付きで、「人間の脳の活動に資する ないしは益する」=「決定可能」といえることになります。

さらにここから踏み込んで、ジュースを愛飲する人と、そうでない人との間で、仕事や勉強の捗り具合にどの程度の差があるのかや、糖尿病の発症率の違いについて統計学的調査をした上で、そのメリットとデメリットの両者を秤にかけて、計量的に判断するということもできます。

※当然のことながら、被験者達には毎日一定の量、同じジュースを飲んでもらう。

終わりに、(単純かつ明快な)論理的形式に則っとらない(比較的)複雑な文章については、その真偽の判断において、より高度な手法・技法が求められるということでした。

※ただし、この場合の「真偽」とは、純粋な論理学に基づくほどの厳格・厳密な意味ではないことに注意されたし。