人間の道具的使用(他人を利用するということ)

初めに、今回は、「人間の道具的使用(他人を利用するということ)」について述べていきたいと思います。

ここで、ある人には利用する価値があって、他人から利用されることがあります。

しかし、利用価値があることもさることながら、明らかに、利用する側からすれば、他人の存在を(自らの目的を果たしたり、欲求を解消するための)「道具として見ている」からこそ、利用される側の人を内心で見下しているのです。

※道具的存在とそれを行使する存在でいえば、後者のほうが優位にあるのは明白です。

このことから、他人を利用する人達というのは、(主には、)相手の資質・能力・適正、あるいは才覚などを認めた上で、利用しようと近づくわけです。

※つまりは、これが人を利用する側の心理であり、人が利用されるメカニズムだといえますね。

※ほかには、相手の持っている時間やお金なども利用される価値として挙げられます。

(利用する側の人達というのは、)相手にあって自分にはないものを(ほぼ無意識に)認めており、相手の意識に対して、自己への従属を迫っているともいえます。

つまりは、(勝手に、)相手の意識の中に入り込んで、相手の心に卑屈な気持ちや後ろめたい気持ちを植え付けておくことで、より相手を支配しやすくなり、同時に、相手の持っている価値を利用しやすい状態にするのです。

※ほかには、(先だって相手を利用する前に、)相手からの好意や好感を集めておくということも(十二分に)考えられます(笑)。

終わりに、これこそが、「人間の道具的使用」なのです。(はっきり言っておきますが、)利用する側の人達は非常に巧妙にこれらのことを仕掛けてきます。彼らの本質は、(どこまでいっても、)邪ま(ヨコシマ)であり、「力の伴わない卑怯者」だということです。

※「力の伴わない卑怯者」とは、自己の資質や才覚に目覚めて、これを育成する努力(何に付けても実力)がないにもかかわらず、身の丈に合わない(贅沢な)暮らしや、世間からの賞賛を求める「非常に浅ましく、卑しい根性」が丸出しだという程度の意味合いです(笑)。