相手の話をはぐらかす手法(話の論点をズラすということ)

初めに、今回は、「相手の話をはぐらかす手法(話の論点をズラすということ)」について述べていきたいと思います。

ここで、(世の中には、)(真剣な議論の場で、)相手が話をしている際に、相手の話をはぐらかす人がいますが、なぜそのようなことをしてくるのでしょうか?。

これはより具体的に言えば、「話の論点をズラす」ということです。

※その場限りのたとえ話をつかって、議論に臨んでいる相手を煙に巻いたりするのも多く使われる手法です。

筆者個人は、人の話をはぐらかすということが、(世の中では、)ほとんど無意識に行われているように感じます。

(ちょっとキツイ言い方かもしれませんが、)まともに議論をすると負けてしまう立場の人達が、(ほとんど)無意識に(矮小な)自我を守らんがために、相手の話をはぐらかすという手をつかうことで、自我をなんとか保っているように見えます。

※筆者個人の経験上、「社会的に立場の高い人」「責任の重たい職位にいる人」にこそ、この傾向が強いように感じます。

※それもそのはずで、彼らは、自分が議論の場でコテンパンにやられたら、自分の立場や信頼感が弱まったり、薄れてしまって、今ある地位や名声を失ってしまうと思い込んでいるからです。

※当人の自覚していない無意識領域において、もうすでに勝敗が決している(=自分の敗北が濃厚であるということ)ので、それをなんとかその場しのぎで誤魔化して、自信を喪失しないように自我が働いているという見方ができます。

※この意識の働きは「防衛機制」にも通じます。

終わりに、自らの知力や知性をもって、議論に臨む自信があるのならば、わざわざ相手の話をはぐらかすようなことはしないということですね。

※仮にも、当人が平和主義者でハッキリとした物言いを避けているとしても、時には、相手に面と向かって直接になにかを言わなければならない場面があるかと思います。したがって、彼らはそれを自らの責任問題に発展するかもしれないと恐れているのです。

※相手を傷付けまいとしているのにしても、表現や言い方の問題で解決できるのに、それができないのですから、(酷な言い方かもしれませんが、)当人の知力や知性が不足している事実に変わりありません・・・。

※(よくわからない)たとえ話を使ったり、(やたらめったらと)感情論を振り回すのは、当人が「無能」である証です(笑)。

※(これは持論ですが、)人間が人間であるためには、当人に誠実さや実直さが求めらると考えます。つまりは、(どこまでも)(真摯に)相手と向き合うこと、そのために(対話に必要な)自らの知力や知性に(日頃から)磨きをかけておかなければならないということです。