可能性の選択(理解を超えた選択が不可能な訳)

初めに、今回は、「可能性の選択(理解を超えた選択が不可能な訳)」について述べていきたいと思います。

ここで、ある子どもが親から朝食を自分でつくるように言われました。

その子どもには、朝食の材料としてタマゴが与えられました。

タマゴがあれば、スクランブルエッグを作ることもできます。

しかし、その子どもは、目玉焼きの作り方しか知りません。

つまりは、その子どもにとっては、タマゴから目玉焼きを作ることしかできないので、スクランブルエッグを作る可能性は初めからないわけですね。

したがって、人間の意識の遡上に選択の可能性がない場合には、「(そもそも)選択するということ自体が不可能」な訳です。

※当人が、「偶然にスクランブルエッグを作ってしまった」ということも考えられますが、その場合には、(明瞭な)意識に基づく(明確な)選択として認められないゆえに、選択ではないとします。

※「理解を超えた選択が不可能」という言葉は、映画『マトリックス』の中で出てきます。

※また、作中での意味合いとしては、「その選択によってもたらされる結果について、それを(どの程度)認識できているかどうか」ということについて問われていると思います。

最後に、「理解を超えた選択」とは、①「意識の働きによって認識される可能性の選択」と、②「選択によってもたらされる結果についての認識」のことでした。

※①があって、次に、②があるという順序・流れです。