無とはなにか?(無についての規定)

初めに、今回は、「無」について述べていきたいと思います。

ここで、我々人間には意識のある以上、無を認識したり、想像することはできません。

そもそも、無とは認識や想像の対象でさえないというのが正しいのです。

なぜならば、人間の意識の存在や活動が原理的に無に反しているからです。

つまりは、"既にある"ということからはどうやっても逃れられないのです。

では、人は死んでも無にはなれないのかというと、やはり無にはなれないのです。

※人が死んだときには、肉体を失って霊魂だけの存在になるのでしょう。でなければ、この世界や宇宙、もっといえば、神の存在そのものが成り立たないからです。

最後に、強いていえば、無とはこの世界や宇宙の外側の領域なのでしょう。(汎神論の考えをもっていえば、)神の存在や意識の外側の領域になるといってもいいでしょう。

※現に、この世界や宇宙は実存し、我々人間も実存する以上は(もちろん神もですが・・・、)この世界や宇宙は原理的に「有」に属していたといえます。

※このことから、本来、二項対立する「有」と「無」は、一つの集合をなしており、この世界や宇宙の存在状態として理解できます。したがって、有が無に対して優位にあ、って、無が有に対して劣位にあったということになります。

※究極的に言えば、"無それ自身も有の内にある"ということですね。ですから、表現を変えていえば、無とは有の"仮初の姿"ということになります。しかしここで、その無についてなんらかの観測をしたときには、既に無が有に成り代わっていることになります。

※ということは、観測されていないときだけ、無は無としてあることができるのです。