精神的・心理的作用とメンタルブロック①

人と人の間には必ずや相互作用という働きがあり、これを通じることで、あらゆる意思の疎通や情報の伝達が可能となりますが、これは時として'諸刃の剣'と化します。

なぜならば、コミュニケーションの中では、必ずや言葉や感情による暴力がはびこる危険性があるからです。

(筆者個人は大変嫌いな)'ゆず'の歌詞の中に、「人は鏡だから、(誰も悪くない)」という趣旨の言説が見て取れますが、これこそが決定的な誤謬だということです。

人は鏡であれば、"その時々の感情の出どころはどこになるのでしょうか?"。

それは紛れもなく各個人の心から出たものであり、これは、"すべての個人には内心の自由が認められる"、という依拠があるからです。

くどいようですが、個人の感情はその個人を出どころとするべきであり、その結果を引き受けるのも、その個人という考え方こそが、道理的にも道義的にもシンプルです。

したがって、(一時の)邪悪な感情に振り回されて、他者に対して悪行を働くことが各個人には可能ですが、その結果、社会的信用(や徳)を落として、(自分自身が)苦しい目に遭うのも、その個人の責任とするべきであって、"すべての個人が'鏡'であるのならば、あらゆる社会的な犯罪行為(の一切)が肯定される"、ことになりかねませんし、第一に元の感情の出どころはどこかにはあるでしょう(笑)。

その感情の出どころを押さえておけば、(一時の)(よからぬ)感情に振り回されることはないはずです。

そうです、(真に)独立した個人とは、"(悪辣とした)他者から向けられる一方的かつ身勝手な感情に左右されない内的な強さを持っている"、ということなのです。

最後に、これが、他者からの精神的・心理的作用(の一切)を受け付けない真に強い人なのです。

※'メンタルブロック'については、次回に持ち越しさせていただきます(笑)。