ゼノンのパラドックス②(飛んでいる矢は、止まっている矢)

初めに、ゼノンのパラドックスには、「アキレスと亀」以外にも、「飛んでいる矢は、止まっている矢」というのもあります。今回は、後者の「飛んでいる矢・・・」について解説したいと思います。

ここで、"飛んでいる矢は、止まっている"、とはどういことなのでしょうか?。

ゼノンは、時間は無限に分割できると想定したことから、"飛んでいる矢は永遠に空中の先へはいけない"、と考えました。

しかし、わたし(筆者個人)が何度も別の記事でもいっているように、時間の長さは有限です。時間が無限に分割できるとすれば、それは、(元の)時間の長さが無限に大きいということとなってしまいます。

したがって、時間を無限に分割することはできません。

※(元の)時間が無限の長さを持つとすれば、時間の経過そのものが成立せず、'現在'という観念自体が成り立ちません。

最後に、まとめると、時間(の長さ)は有限であることから、"時間の経過は(確実に)あり、時間の経過がある以上は、飛んでいる矢は(運動エネルギーを持ち続ける限りは、)動き続けるという宿命にある"、といえます。

※ゼノンのパラドックスの内、「アキレスと亀」についても今回と同様のことがいえます。なぜならば、「アキレスと亀」についていえば、これは、"距離は無限に分割できる"、と仮定・想定したものだからです。当然のことながら、(時間も)距離も(有限の長さを持つ以上は、)無限に分割することはできません。(元の)距離が無限の長さを持つとすれば、位置の通過そのものが成立せず、'移動'という観念自体が成り立ちません。