卵が先か?、親鳥が先か?(通称、ニワタマ論争)
この問題は、長らく一部の方々の間で考えられ続けていて、
哲学や生物学、果ては数学にまで及んでいるそうですが、
わたくしなりに解釈・理解したことを述べさせていただきます。
早速ですが、この問題についてわかりやすくするために、
卵と親鳥についての記述を抽象化して置き換えると、
「XはYに先立って生じて(実在して)、YはXに先立って生じる(実在する)」となります。
(※卵と親鳥のどちらをそれぞれX,Yのどちらに対応させてもよい)。
(※親鳥ももとは卵だったという前提で、当然、卵は親鳥から生じるという前提で)。
賢い方はお気づきのように、この命題は一種の矛盾をきたしています。
この問題は、’循環参照’と呼ばれているそうです。(※出典・参考:Wikipedia)。
このことからわかることは、(一見、摩訶不思議なことですが、)
両者が同時に生じなければ(実在しなければ)ならないということです。
つまりは、卵と親鳥は同時にセットとしてあるということとなります。
これは、どちらかが先にあるというものでもなく、この問題についての初めの設定、
命題に落とし込むまでの仮定そのものが誤りだったということです。
このことは、一見するとトンデモ話とも受け取れます(笑)。
これは一種のジレンマというヤツですかね・・・。
少し話は逸れますが、この問題については生物学の立場(≒進化論)によれば、
東南アジアの森に生息していたセキショクヤケイという鳥の子が突然変異を起こして、
現在の食用のニワトリになったそうで、結論を言えば、”卵が先”となるそうです。
(※これは、あくまでも、現在食用とされている種についてですが・・・)。
ちなみに、ニワトリの種の起源について言及・遡及する場合、
"卵生を獲得する以前の親"をも親鳥とするなら、”親鳥が先”となります。